はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

逃げること

こんにちは、ゆきだんごです。

 

 

みんな台風大丈夫?

私はお仕事がお休みになったので、家の中で雨音を聞きながらテレビでニュースを見たり動画見たりラジオ聞いたりのんびりしています。

 

 

今住んでいる街は都会近くの住宅街という感じで、特に遊ぶ場所もないけれど賑やかすぎなくて住みやすい、居心地の良い街です。

 

小学生の頃住んでいた街に似てる。家々がぎゅっと集まって細い道が網目状に入り組んでいて、子供たちが遊ぶ公園があって、小さい空間に街が完結しているような。

マンションとか集合住宅もあれば、昔ながらの一軒家もあれば、高級車が並ぶ豪邸もちらほら見える。時々、個人がやってる小さなご飯屋さんとか美容院とかがあったりする。大通りには車がビュンビュン通っているけれど、一本中に入った道にはほとんど車が走らない。昔、友達の家の前のこんな感じの道でローラースケートしたり縄跳びしたりしたなあ。そんなことを思い出す街。

 

 

 

 

前職で病んでた時のことを思い返すと、あの時は自分で自分をいじめていて、周りの人間にも自分をいじめさせていたんだなと思うようになった。「無能な店長」のレッテルを自分自身に貼り付けて、周りのスタッフと一緒にいじめていた。それを許していた。周りの意見に同調していた。「無能な店長」を共通の敵にして一緒に叩くことで、周りと繋がろうとしていた。

 

そういう空気を我慢してそれでも負けずに頑張る!みたいな姿勢って、一見強くて健気で偉いことのように見えるかもしれないけど、結局自分自身もその現状を放置して見て見ぬふりして甘えているだけなんだよなって今なら思う。厳しい言い方かもしれないし、当時はそんな風には受け止められなかったけど。

 

 

もちろん意見とか議論とかはあって当然でそれは受け止める必要もあるけど、度を超えた態度や自分自身の人格を否定するような言葉にまで同調する必要はなかった。休みの日の夜にLINEの長文で意見言ってくるなんて非常識だし、ズルだし、それはおかしいやめてくださいって言わなきゃいけなかった。そんなことにあんなにダメージ受けることなかったのに。もっとちゃんと自分で自分を守ってあげないといけなかった。

 

 

今なら冷静におかしいって思えるのに、私は責められて当然でそれが普通で、その空気を許して作り出してしまっているのも自分だった。店長はこうでなきゃいけないのに、それができていない自分は責められる対象として当たり前だったから。自分自身も、自分が至らないことをよく分かってたから。だから「本当は嫌だ」「本当は苦しい」「頑張ってることも認めてほしい」「味方がほしい」っていう本当の自分自身の感情すら押し込めてしまってたんだと思う。

 

 

よくSNSとかで、「耐えられなくなる前に逃げてね」みたいな意見に対して「そんな簡単に逃げられるものじゃない」みたいな返信を見ることがあるんだけど、そうやって諦めたりその現状を許しちゃってるのも自分だよと感じるようになった。逃げるのが難しいって思う気持ちもめちゃくちゃ分かるんだけどね。でも逃げようと思えばどんな環境からだって逃げられる。結局、行動を起こさない言い訳とか口実を作ってるだけ。

 

 

ただ、社会人なら嫌なこと全部跳ね除けたり自分を押し通し続けるのが難しいこともよく分かる。真っ向から反論したり喧嘩したり、スカッと漫画のようにはうまくはいかない。でも嫌なこと言われたり態度を出された時に、ヘラヘラしないで強くいる、笑わない、ってことも自分自身を守る方法だったのかな、とも思うようになったな。

 

 

 

なんかずっとじわじわ思ってたことでそのうちここで話したいなって思ってたこと。聞いてくれてありがと。

新しい環境は今のところ楽しくちゃんと頑張れてます。おわり。