はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

大学生の頃。

こんばんは、ゆきだんごです。

 

 

久しぶりに歯医者に行った。

来月から転職して引っ越して環境が変わるので、今時間があるうちにいろいろやれることやっておこうと思って。

 

家から歩いて10分くらいのところで、久しぶりに家の周りをちょっと歩いた。こないだ歩いた時よりももっと空気が夏になっていて、肌に当たる風がゆっくりでぬるい。お日さまの力が前よりも強くなっている。

 

田舎を離れると思うと、途端にこの空気が愛おしくなる。最近は結構そんなことばかりで、社会人になるタイミングで地元を離れる時には寂しさなんてほとんど思わなかったのになあと思ったりした。

 

 

 

今振り返ると、大学生の時が一番反抗期だった。その後もしばらく甘えることが分からなかった。

 

大学は家から往復3時間くらいかけて通っていた。本当は1人暮らししてみたかったけど駄目で、自由な自分の時間がいっぱいある周りの友達が羨ましかった。それなのに、早く帰って来いだのちゃんとやることやれだの、いろいろ口うるさく言ってくる親が鬱陶しくて仕方なかった。

 

大人しく親の言うことを聞いて、ちゃんと家から通える公立の大学に浪人もせず真面目に入学したのに、あたしの頑張りは別に当然のようで大した見返りもない。大人しく言いなりになっていたっていいことなんて何もなかった。当時はそれを言語化もできず、ただただうるさいなあというモヤモヤだけが募っていた。

 

 

でも当時親が口うるさかったのは別に過保護でもなんでもなくて、一緒に暮らしてる中での家族のルールは守ってよ、という意味だったんだよなと今は思う。もちろん遊びすぎて心配はかけてたと思うけど、何時に家を出て何時に帰ってくるのか、ご飯はいるのか、ということを母が把握したいのはみんなで生活してる上で当然のこと。ただちゃんと連絡が欲しいだけ。それを制限したいとか縛りつけたいというほどのことでもない、と今なら分かる。

 

 

それでもやっぱり当時の私はいろいろ言われるのが嫌で、だったら全部自分でやるから好きに自由にさせてくれ、という方へ気持ちが動いていった。もともと母とは何でも話せる関係性だったけれど、自分の話はほとんどしなくなっていたし、呆れられてる視線を感じて家でもあまり居心地はよくなかった。

就活の時も結構悩んでいたけれど親への相談はほとんどしなかった。とにかく社会人になったら家を出たかった。知らない街で好きに生きてみたかった。別に家族や地元が嫌いなわけじゃないけれど。

 

 

そんな感じで就職してしまったので、地元を離れる寂しさはほとんどなかったし、その後もしばらくは甘えられない頼れない時間が続いた。1人で自由にしたいって決めたのは自分だから、と思ってしまう。帰省しなくても別に充実してるし寂しくないのよ!っていうあたしでいたかったんだよな、きっと。

 

 

独り立ちしてまた帰ってきて、今ではまた何でも話す関係性に戻っている。昨日見たテレビが面白かったとか、友達と飲んだ時にこんな話をしたとか。最近は『だが、情熱はある』というドラマに母と2人でハマっていて、あのシーンが良かっただの、あそこが泣けただの、会うたびに最新話の話で盛り上がって、2人でひたすらずっと喋っている。

 

 

今回は県内の引っ越しなので、もう気軽にいつでもすぐ帰ってこようという気持ち。田舎の空気もカエルの鳴き声も恋しいし、弟たちにもばあちゃんたちにも会いたいし。素直にそう思えるようになっていることが成長だなあと思う。丸くなった。大人になった。