はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

聞き分けのいい子にならない。

こんにちは、ゆきだんごです。

 

 

先日、9ヶ月ぶりくらいに整体に行きました。

かちこちに固まりすぎて、めちゃめちゃ手こずりましたと言われたよ。笑

たしかにその自覚はある。けどここ数年はその状態が普通になりすぎて何も思わなくなってきてしまったんだよな。デスクワークだししょうがないか、みたいな。よくない。

体はめちゃ楽になりました。

 

 

施術が終わって色々と話をしてくれたんだけど、背中が固くなってるとそれをカバーしようとして首や腰に痛みが出てしまうらしい。

で、やっぱりストレスとかで常に緊張状態になってると、きゅーっと力が入って背中が固くなってしまうようで、ストレスとか無いですか?と聞かれました。

でも今はそこまで思い当たる節がないというか、好きに生きてるし、職場環境も悪くないし、昔よりは楽に働けてるんですけどね〜と言ったんだけれど。

そしたら、「嫌な上司がいる」とか「ブラック企業」とか「取引先が怖い」とか、分かりやすい明確なストレスが無くても、ストレスを感じてることって多いんですよと教えてくれた。

 

自分がやりたいと思ってることをやれないこともストレス、逆にやりたくないことをやらなきゃいけないこともストレス。そうやって自分の欲求を我慢することがそもそもストレスになるらしい。ふむ。やりたいことはやっているつもりだけど、それは行動としてそうしているだけであって、瞬間瞬間の自分の本心を全く我慢していないわけじゃないかもな。

 

それから、自分の中の「悪」を認めてあげられない「いい人」もストレスを感じやすいそう。人間の中には絶対に「善」と「悪」の部分があるはずなのに、自分の「悪」を認められないのは結局自分の本心を我慢していることになる。これはよく分かってしまった。

 

他人の顔色を伺ってしまうし、他人に糾弾されないようにいい人でいなきゃとか、逆にいい人でいないと他人に文句を言う資格もないからとか、そういう意識が自分の根底にある気はする。

過去に人を傷つけたことも、なんか調子に乗って空回りして恥ずかしい思いをしたことも、今でも自分で思い出して消化できなくて情けなくなることが本当によくある。そしてその痛みは、当時よりも色々分かるようになった今の方が深く刺さってきたりする。あの頃には想像力がなくて分からなかったけどなんであんなことしちゃったんだろうとか、なんでふざけて言っちゃったんだろうとか、今になって思えば未熟な自分が恥ずかしくて情けない。ふと思い出してうわーっと声を出して消し去りたくなること、まあ誰にでもあるとは思うんだけど。なんか、それを最近はよく思うかもなあ。

そういうこともあって、なるべく穏やかに、空気が事故らないように、ありきたりな普通のそれなりの大人な自分で過ごしている。それに気づかされた。

 

本心のまま全て行動するのは難しいかもしれないけど、一旦自分で心の声を聞いてみるのは大事かもしれないと思った。特に最近それできていなかった気がする、やっぱり。こう思っちゃいけないとか、相手にも色々事情があるんだしとか、ちょっと無理してでも行ってみたら楽しいし、とか。無意識に聞き分けのいい子になっていたなあ。元々その節はあるんだから、ちゃんと自覚して意識して、自分のわがままを聞いてあげるようにしようと思いました。

 

整体またすぐ行くぞ。

皆さまも健康に。