はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

おばあちゃんが亡くなった時の話。③

前回の続きです。

 

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10月15日。10時ごろばあばに会いに行った。

こないだ会ったときと何も変わらないようなのに、呼吸をしていなくてドライアイスを乗せて冷たくて、やっぱりそこにばあばはいなかった。

何度も握ったばあばの手を、肩を、頭を、何度も撫でて触ってずっとそばにいたかった。ばあばの顔を見ながら静かに泣いた。

近くで葬式の打ち合わせがされていてこの日はお昼くらいには帰った。

弟①に「もっと泣くかと思った」と言われて、私も自分自身でそう思った。どんな姿になっても私にとってはばあばはばあばでそれは死んでからも変わらなかったみたいで、息をしていないばあばを目の当たりにしたらもっと実感が湧くかと思ったけど、今思えばこの時には全然実感できていなかったんだと思う。日常が続くのが不思議だよねと言った。

午後からは買い物に行ったり喪服の準備をしたりした。

 

 

10月16日。お通夜。

お昼を食べた後、実家からばあちゃんちに向かった。

着いたらもうみんないてばたばたしていたから、やっぱり昨日ゆっくり会いに来といてよかったと思った。ばあばをみんなで運んで霊柩車に乗せて、式場に向かった。

ばあばはお風呂に入れてもらってお化粧をして着替えさせてもらったりしていた。

この日はいろんな大人達が来てしっかり大人のふりをしていたから、そんなには泣かなかった。まだ、ぼーっとしているような、受け止めきれていないような、そんな感じだった。

うちの父方の祖母が来てじいちゃんと喋っている時に、みんなずっと元気でおってくれなきゃやだよと思った。

お通夜が終わって帰って、ばあばへの最後の手紙をゆっくりしっかり書いた。

ばあばのことがとにかく大好きで、ばあばからの愛もちゃんと伝わってるよってことをいっぱい書いて、また、泣いた。

 

 

10月17日。お葬式。

この日はきみちゃんが朝から来てくれて、入り口まで迎えに行った。「顔見るの怖いわ」と言っていてすごく気持ちが分かるなと思った。きみちゃんのことも心配だった。

 

この日は朝からずっと自分の中でカウントダウンが始まっていた。

子供の頃にお骨を見た瞬間怖くなったことが少しトラウマのようになっていて、燃えて骨になっちゃうことが私の中ですごく大きなことになっていた。やっぱりもう二度と顔も見れない、触れることもできなくなるっていうのが一番受け止めたくないことで、その実感が一気に湧いて自分が壊れちゃうんじゃないかと思って、その瞬間がくるのが本当に怖かった。あと何時間で本当にお別れだっていう恐怖が徐々に迫ってくるような1日だった。

 

式の間もそのことで頭がいっぱいで、式が終わる頃には今までの悲しみの涙とは違う、現実が信じられない受け止められない、そういう衝動的な涙が出てきて止められなかった。肩が震えて嗚咽が止まらなくてどうしようもできなかった。

 

みんなでお花を入れて、お手紙を入れて、うちのいちごも入れて、写真を撮ったりしてお別れをした。じいちゃんもばあばにたくさん声をかけながら泣いていた。みんなも泣いていた。何回も手を握って体を触って、でもどれだけ触っても足りなくて、ずっとこうしていたかった。

 

そのあとバスで火葬場に向かった。

火葬場の人が最後にお別れをどうぞとか言ってくれたんだけど、もういつまでも離れたくないし引き止めたいし怖いし感情がぐちゃぐちゃでとにかくずっと泣いていた。叔母さんが隣でなだめてくれて「ありがとうって言おう」って声かけてくれたんだけど、それじゃ本当にお別れするってことじゃん、そんなの嫌だ、ありがとうも大好きも当然でずっとずっと思ってるけどそれじゃ本当にお別れして見送ることになっちゃうじゃん無理だよいかないでよ、って気持ちで子供みたいにずっと泣き叫んでいた。叔母さんも泣いていた。みんな泣いていた。

最後まで泣きながらばあばを見送って、ひとしきり泣いてみんなになだめられたおかげでようやく落ち着けた。混乱状態だったと思うけど、私が現実を受け止める上できっと必要だったんだと思う。そのあとはしばらく抜け殻みたいな状態だったけど、落ち着いてお骨を拾って、ようやく現実として一個飲み込めた状態になれた。

 

 

とても長い3日間で、疲れた1週間だった。後悔もある。死んでからよく思い出すようになるのが一番嫌で、だったら生きてるうちにもっともっとやれたことあったのに。

悲しみに浸りすぎるのも自己満足のようで嫌で、でも忘れてしまうのはもっと嫌で。今もその感情は地道に続いている。受け入れられたような、受け入れざるを得ないからなんとなくやり過ごしてるような、そもそもとっくに薄れてきているような、そんな気も全部する。みんなそんなもんなのかもなと思ったりもする。

 

この先も生きていたらこんな苦しみに何度も立ち会わないといけないなんて、耐えられないな。でも生きていかなきゃいけない。

 

ばあばともっと生きていきたかったな。

でもいっぱい頑張ったもんね。お家で家族に見守られながら見送ることができたのは、きっと本当に幸せなことだったと思う。最後まで頑張って生きるばあばを、みんなの大好きなばあばのまま見届けられた。本当によかった。

 

ばあばの愛のおかげで私はこんなにすくすく育ってこれました。ばあばともっと生きたかった未来を、これからも後悔ないように生きていきます。

長々と読んでくださってありがとうございました。