はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

おばあちゃんが亡くなった時の話。②

前回の続きです。

 

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ようやく会いに行けたのは亡くなる1週間前の10月6日。この時には家に介護ベッドを入れてもらって、ほとんど寝たきりの状態だった。前の日に大きな字で「ばあば大好きよ」と書いたお手紙と、バームクーヘンとお守りを持っていった。

 

この日は食べられるものを少しずつあげたり、背中をさすったり、三線を弾いて歌ってあげたりしていた。

三線はすごく喜んでくれた。私のまだまだ練習不足のへたっぴな三線だったけど一緒に歌ってくれて、「これはビールの歌でしょ」とすぐになんの歌か気づいてくれて、ちょっとでも練習してきてよかったなと思った。

弟②のパーマにもすぐ気づいて「パーマかけたの?」と言っていた。

梨を食べて、弟①が撮っている動画に気がついて笑って手を振ってくれて、炭酸もしゅわしゅわした顔で飲んで美味しいと言っていた。

寝たきりだったけど、自分でポータブルのトイレに行けたりもしていたし、面白いおしゃべりは健在で、変わらないばあばが嬉しくて楽しい時間だった。

 

 

次に行ったのは10月10日。

前の日に焼き芋が食べたいと言っていたから、買ってきたら二口くらい食べた。この日は叔父さん2人と、きみちゃん(ばあばの仲良しの親戚)も来ていて、きみちゃんがステーキを焼いてくれたりしていた。でも食べても飲み込むことはできなかった。

この日にはもう自分でトイレに行くことはできず、オムツを履いていた。

三線もまた弾いてあげたら、それを聴いてたきみちゃんもうるうるしながら喜んでくれた。でもばあばは途中で疲れて眠くなっちゃったみたいで、「お兄さんもうやめて!」と怒られた。笑

帰りは弟2人とつけ麺を食べて、車の中でバンプの「なないろ」を聴きながら、ばあばの夢を見た話をして泣いた。

 

この二日後に友達の結婚式があったので、帰り道に相当頑張って結婚式用のパーティードレスを買いに行った。

この辺りから気持ちの切り替えが難しくてしんどくて、ばあばのことを考えていたいのに日常はちゃんと続けていかなくちゃいけなくて、自分の気持ちが落ちないように日常にしがみつくのに必死だった。

会社の先輩や上司に打ち明けて話を聞いてもらって、辛い時はこうやって共有していいんだと知った。

結婚式は本当に楽しくていい時間で、大好きな友達にもたくさん会えて、ちゃんと笑顔で全力で楽しんでお祝いできたので、本当によかったと心から思った。

 

 

最後に会えたのは前日の10月13日。

この日のばあばは訪問看護師さんに坐薬を入れてもらってほとんど眠っていた。

みんなで手足をマッサージして、冷えないようにあたためてあげた。弟②とクライマックスシリーズを見ていた。三線も少し弾いた。

夕方からいとこたちも来て、みんなが叔父の文句やら愚痴やら色々言い始めたのが面白かった。笑 「ばあばにこんなこと聞かせてごめんね」とか言いながら。本当にサマーウォーズのような大家族みたい。

みんなで「最期の時」という本を読んで、今こういう状態だからねというのを確認して、もう本当にいよいよなんだと思った。弟②も泣いていた。私も静かに泣いた。

ばあばは時々呼吸が止まったりしていた。

この日の帰りはそのまま実家に帰ることにして、帰り道に母と弟②と3人で中華料理屋さんに行った。

もうすぐ死ぬと分かっているのに、自分たちは日常を続けることが不思議だった。

「生きている者は食べないといけないからね」と母が言っていた。

 

 

10月14日。

この日は仕事で、ばあちゃんの話を打ち明けた仲良しの先輩と2人で出勤だった。

退勤前の18時ごろ。

「ばあば亡くなりました」と母からLINEがあった。

とりあえず帰ってお通夜の予定とか確認して、まず明日会いに行こうと思って上司にお休み連絡をして。冷静で実感のない、なんだかぼーっとしている自分がいた。

でも寝る前に数珠とか用意し始めたら、あ、私ばあばの葬式に行くんだって急に気がついて、そんなことって本当にある?ひたすら涙が出てきて止まらなかった。

明日が来て、現実を目の当たりにするのが怖かった。

 

 

続きます。