はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

四十九日、とその後

ちょっと前にばあちゃんの四十九日があった、

お寺でお経を読んで納骨もした。

 

お昼は親戚みんなでご飯を食べた。

 

 

さすがに実感ないというわけではないけど、ずっと考えないようにしてるだけな気がしてる。

 

寂しさが消えたつもりも悲しみを乗り越えたつもりもないのに、やっぱり直後のような喪失感はなくて。平気になったはずないのに、これが当たり前になったわけでもないのに、あの気持ちはどこにいっちゃったんだろう。

 

 

 

そう思って数日、

テレビの歌番組でBEGINが歌う『島人ぬ宝』を聴いて大泣きしてしまった。

イントロを聴いて、考えるよりも先に勝手に涙が出てきた。

 

ばあちゃんが亡くなる前の数週間、何度もこの曲を聴いて三線を弾いて歌を歌った。

ばあちゃんを、みんなを、私を、元気付けたくて。

 

あれから沖縄の歌全然聞いてなかったなとか、やっぱり考えないようにしてたんだなとか思って、やっぱりこの涙に少し安心したりもする。

 

 

次ばあばに会えるのはいつなんだろうって、

きっとこれからずっとそう思いながら生きていく気がするなって思った。

 

またちょっと腑に落ちてちょっと納得して前進。

 

今はちょっと遠くにいるだけ、

夢の中でまた会いにきてくれるのか、

私が困った時に助けにきてくれるのか、

そんな時を楽しみにするって、自分の感覚でちょっとずつそう思えるようになったかもしれない。

 

それは悲しみがなくなったのとも、事実を受け入れたのとも違う。

今までの延長にこれがあるって思えてるかもしれない。ちょっとだけ。