はじめのいっぽ

自分の心と向き合う、はじめのいっぽ。

ひいばあちゃんが死んだ話。

こんばんは、ゆきだんごです。

 

 

先日、実家のひいおばあちゃんが亡くなりました。98歳でした。

 

このブログでよくお話ししているじいちゃんばあちゃんは母方の祖父母ですが、今回お話しするのは父方の曽祖母です。じじばばの登場が多いブログでややこしくてごめん。笑

曽祖母の話ですが、ここでは普段から呼び慣れている"おばあちゃん“と書かせてください。

 

 

 

 

98歳の年齢を考えたら仕方のないことだしよく頑張ったよねってみんなで言っているけれど、それでもやっぱり「早すぎる」と思ってしまうほど、ずっと元気で健康なおばあちゃんでした。

 

 

 

足が悪かったので車椅子の生活で、少しずつボケてることもあったけど、メガネもかけずに新聞を読むくらい目がよくて(私より目いい)、耳もよくて、ご飯もしっかり食べられて、怒ったり暴れたりすることもなく、いつも穏やかでにこにこしているかわいいおばあちゃんでした。

 

 

10月の中旬ごろかな、少しずつ介護が大変になってきたこともあって老人ホームに行くことになりました。

11月、一度家に帰ってきて病院に行ったりして、その時は変わらず元気なおばあちゃんでした。

 

12月、施設内でコロナが出て、一時帰宅の予定が無くなってしまいました。そしてしばらく家族が会えないまま、1月。喉の力が弱くなりご飯が食べられなくなったおばあちゃんは、点滴で生活していると連絡がありました。

 

 

そこから急激に弱ってしまったおばあちゃん。もう何があるか分からない、と施設の方に言われました。

 

 

亡くなる二日前に、老人ホームにいるおばあちゃんに会いに行きました。

ベッドに寝たきりで声が出せなくなってしまっていたけど、私たちのことはちゃんと分かってくれていて声もしっかり届いていて、表情や動きで応えようとしてくれて、そんな姿が切なくて嬉しかった。

 

もちろん以前のおばあちゃんより随分変わってしまっていたけど、それでも覚悟していたよりずっと元気な姿を見せてくれて、みんなで少しほっとしました。あの様子ならもう少し頑張れそうだよね、と家族で話をしていたんだけど。

 

だけど次の日。さらに状態が悪くなってしまって。

前日に会いに行けていなかった弟たちも、急いで様子を見に会いにいきました。たしかに前日より弱ってしまっていたけど、意識はあって反応はしてくれたということでした。

 

 

 

 

 

そしてその次の日の朝でした。

 

 

 

 

きっと、みんなが会いにきてくれるのを頑張って待ってくれてたんだろうなって思う。

家族や親戚もみんな会いにきてくれて、安心したんだろうなって思う。

 

 

 

しばらくして家に帰ってきたおばあちゃんは、

ついおとといに見た姿とあまり変わらない、いつも通りのおばあちゃんで、

だけどもう、明らかにそこにはいなくて。

 

つい二日前と一体何が違うんだろうと思う。

何が違うだけで、こんなにも違うんだろうと思う。

変わらないのに、確実に、変わってしまっていて、

生きているってどういうことなんだろうと不思議に思う。

 

 

 

 

それからばたばたと打ち合わせがあって、いろんなところに連絡をして、でも仕事も終わらせないと行けなくて、途端に慌ただしく非日常な一日になりました。

 

そういう時の空って、いつもと変わらないはずなのに、なぜか私にはいつもと違った表情に見える。

真っ直ぐに澄み渡っていて、青くて高くて、晴れ女なおばあちゃんにぴったりの空だった。そんな風に見えるのが不思議になる。

 

 

 

 

慌ただしい時間は夜まで続きました。

私の着る予定だった礼服が入らないだとか、おばあちゃんの写真を用意しなきゃとか、私と母と祖母の女3世代で、おばあちゃんの前できゃあきゃあ騒いでいて。

 

おばあちゃんが綺麗に整理してくれていたアルバムから、使えそうな写真をみんなで何枚か選んでいる時、祖母が自分の写真を差しながら「これ誰だん?」と言ってきて私と母で「あなたでしょ!」とツッコんで「ええー!?」となったりして。笑

 

よくある、故人と共にアルバムを見て振り返るみたいなイベント、本当に発生するんだと思って楽しかったりして。

 

最後までずっと賑やかでいいでしょ、楽しい時間をありがとね、とずっとずっと思っていました。

 

 

 

無事、いろんな人に見送られながらお通夜とお葬式を終えることができました。

棺桶の中には、たくさんのお花とうちのいちごをいっぱいみんなで入れて、それから大好きな庭の金柑の木と、マクドナルドのポテトを一緒に入れました。めちゃめちゃ映えてたね。

 

「今日何食べたい?」「なんか好きなもんある?」と聞いてもいつも「わしゃなんでもいいで。」と言う癖に、たまにマックが出てくると「たまにはこういう変わったもんがいいでな。」と言いながらばくばく食べるという。思い出の品。笑

 

 

最後のお見送りはもちろん寂しかったけど、それでもみんなでわいわい言いながら、笑顔と涙で賑やかに見送れて、変な言い方かもしれないけどやっぱり楽しい時間でした。

 

 

 

実家にいる間もそんなに毎日毎日何を話すでもなかったけど、でも実際にコロナで会えていない1ヶ月の間に急激に弱ってしまったことから、やっぱり家族に少しでも会えたり一緒に過ごせてる時間がそれだけで大事だったんだろうなと思います。

 

そしてそれはおばあちゃんにとってだけじゃなくて、私たち家族にとっても。

別に何を話すじゃないはずなのに、もういなくて会えないと思うと、それはやっぱり全然違くて、みんなの心にはこんなにもおばあちゃんがいたんだなって感じました。

 

それに今、毎日実家で「おばあちゃんおはよ」とか「おばあちゃんまた明日ね、おやすみ」とか言うだけですごく安心している自分もいて、本当に些細なこの一言にものすごいエネルギーがあったんだよなって、なんか思う。たった一言だから別にいらないんじゃなくて、たった一言だからこそ絶対に必要なんだろうな。そんな感じ。

 

 

 

お通夜もお葬式もいろいろ手伝って、家族みんなで協力して終えられた部分もあって、なんだかよい社会勉強になりました。

終わってからはあっという間に日常に戻ってる。そういうもんだよね。

 

 

大正、昭和、平成、令和って生きてきたおばあちゃんを思うと、今の私には途方もなくて想像もできなくて、本当に尊敬するけど。

まあ、1日1日私もなんとか頑張って生きていこと思いました。

 

 

 

おわり。ここまで読んでくれてありがとう。